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カリフォルニアワインの父
ロバート・モンダヴィを知る vol.1

「カリフォルニアワインの父」と呼ばれるロバート・モンダヴィ。彼が作った「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」のワインはWINE&DOORSでも人気のワインです。ロバート・モンダヴィ氏を知らずとも、「オーパス・ワン」というワインは知っているのではないでしょうか。このワインの生みの親の一人がモンダヴィ氏です。

ロバート・モンダヴィが「カリフォルニアワインの父」と呼ばれるにいたるまで、そしてカリフォルニアワインが現在のように世界に名だたる銘醸ワイン産地の一つとなるまで至るまでにはどんな歴史があったのでしょうか。
WINE&DOORSのスタッフで、過去メルシャンにて「ロバート・モンダヴィ」の日本のブランドマネージャーも務めた黒澤の視点で紐解いていきます。
ワインの背景にあるストーリーを知ると、ワインをもっと楽しめること間違いなしです。

ロバート・モンダヴィ・ワイナリーを設立するまで

ロバート・ジェラルド・モンダヴィ(1913-2008)通称ロバート・モンダヴィ。
周囲からは尊敬と親しみを込めてボブと呼ばれていた男だ。彼が生まれたのはアメリカのミネソタ州。
ロバートの父チェーザレは、イタリア中部マルケ州のサッソフェッラート村からミネソタ州に移住し、2人の息子と2人の娘を授かる。その長男がロバートだ。ミネソタで食料品店を営んでいたチェーザレは、ワインの仕入のために何度もカリフォルニアを訪れていたが、その地に魅せられ、カリフォルニア州ローダイに移住することになる。ロバートが10歳のころであり、これがカリフォルニアとロバートの関係の始まりだった。

ロバートがワインの世界に入ったのは1937年にスタンフォード大学を卒業後のこと。父の持つサニー・セント・ヘレナ・ワイナリー(現在のメリーヴェール)で働き始めたことからだ。このワイナリーでは、大量生産のバルクワイン(タンクでワインを出荷するブレンド用ワイン)を造っていたのだが、ロバートはその商才を活かしてこのワイナリーを安定して利益を出すものにしていった。

そこからロバートがボトルワインの世界に足を踏み入れたのは1943年。歴史あるナパのワイナリー「チャールズ・クリュッグ」が売りに出ていると聞いた彼は両親を説得し、このワイナリーを手に入れたのだった。バルクワインの世界から高品質なボトルワインビジネスへの挑戦はとても勇気のいる決断だったはずだ。ロバートはこの新しい挑戦にも、弟のピーター(UCデイビスで醸造の学位を取得)、2人の兄妹(メアリーとヘレン。主に事務を担当)と力を合わせ、持ち前の先進的な考え方と才能で成功へと導いた。なお、このワイナリーでは、白ワインの低温発酵・ワインの熟成用にフランス産オーク樽の導入など、アメリカでは初めてのことを多く行い、周囲のワイナリーやアメリカのワイン醸造界に革新を起こしたといわれている。

チャールズ・クリュッグで主に販売とマーケティングを担当していたロバートは、弟の造る高品質なワインをディストリビューターやレストランへどんどんと広めていった。また、彼は近隣のワイナリーや業界の人々と交流し、カリフォルニアワイン全体の底上げを図るようになる。筆者がナパのダウンタウンのレストランやワインショップオーナーと話していたとき、『ボブはよくフランスの高額なワインを開けて、近隣のワイナリーの人や、ショップスタッフ、レストランスタッフにも振舞っていたよ。彼はカリフォルニアのワイン文化自体を引き上げようとしていた』と何度も聞いた。

しかしながら、歴史あるカリフォルニアの老舗ワイナリー、ボーリューやイングルヌックのような尊敬されるワイナリーにしていきたいと願うロバートと、堅実路線の弟ピーターとの関係には次第に暗雲が立ち込め始める。そして、1959年に父チェーザレが亡くなった後、その確執は決定的となった。ヨーロッパの銘醸産地を多く巡り、その品ワインの質の高さと美食という『ガストロノミー文化』に感銘を受け、ヨーロッパ式のワイン造り、美食文化、生活の中のワインという存在を目指したいというロバート。そして、それを受け入れられないピーター。ついに1966年に兄弟は袂を分かつことになり、ロバートはチャールズ・クリュッグを去り、自らの名前を冠したワイナリー「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」を興すことになる。

ついに生ける伝説「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」の始まりである。

ロバート・モンダヴィ・ワイナリーの設立とカリフォルニアワインの成長

ロバート・モンダヴィ・ワイナリーは29号線セント・ヘレナ・ハイウェイとウォールナット・レーンの交差点、チャールズ・クリュッグから南に5マイルの場所にある。ロバートが憧れたボーリューやイングルヌックにもほど近いナパの中心地だ。

彼がこの場所を選んだ最大の理由は、ここに「ト・カロン・ヴィンヤード」があるから。彼は後にこの畑について『素晴らしい歴史と、魔法のような自然を持つ畑だった。理想的な土壌と日当たり、そして雨 ―私にはこの畑が宝物に見えた』と語っている。それほどまでに、「ト・カロン・ヴィンヤード」はカリフォルニアのみならずアメリカを代表する畑として名高く、時に「特級畑(グラン・クリュ)」とも言われる歴史的に素晴らしいワインを産み出してきた畑だ。

こうして、1966年の収穫のわずか2カ月前に完成したミッション様式を取り入れた壮麗なワイナリーで造られたワインは、高い評判を獲得し、徐々にアメリカだけでなく世界でも知られる存在になっていく。

また、禁酒法が廃止になって以降本格的、かつ大規模なワインとして久しぶりに設立された(1934年にルイ・M・マルティーニがオープンしている)ロバート・モンダヴィ・ワイナリーには、有能な若手技術者が多く集まった。ウォーレン・ウィニアスキー(スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ)、マイク・ガーギッチ(ガーギッチ・ヒルズ)、ゼルマ・ロング(シミ、シャンドン・エステーツなど)、ポール・ホブス(ポール・ホブス)、そして現在もチーフ・ワインメーカー(醸造責任者)を務めるジャンヴィエーヴ・ジャンセンズ。その後のカリフォルニアワインを牽引するワインメーカーを多く輩出している。

ところで、ワイン界では伝説となっている『パリスの審判』をご存知だろうか。これは、1976年にアカデミー・デュ・ヴァン創設者のスティーヴン・スパリエが主催したワインの品評会で、フランス最高峰のワインたちとカリフォルニアワインをブラインドテイスティングしたところ、当時無名だったカリフォルニアワインが名だたるフランスワインを抑えて赤白共に1位を獲得したという、ワイン業界に激震が走った事件である。このとき、1位を獲得したワインを造ったのは、赤は「スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ」のウォーレン・ウィニアスキー、白は「シャトー・モンテレーナ」のマイク・ガーギッチ。2人ともロバート・モンダヴィ・ワイナリーの醸造長を務めた人物だ。残念ながらスパリエがカリフォルニアから持ち帰ったワインにロバートのワインは含まれていなかったが、この事件は世界のワイン地図を塗り替えた一大事件となった。現在、残念なことにその陰にロバートの功績があったことが語られることは少ない。

カリフォルニアワインの父

ロバートが『カリフォルニアワインの父』と呼ばれるようになったのは、ここまでに語ったカリフォルニアワインを牽引する多くの技術者を輩出した功績も大きいが、その他にも多くの要因があると考えられる。

例えば、「チャールズ・クリュッグ」で働いていた時代の白ワインの低温発酵技術の確立や、ナパのダウンタウンに初めてテイスティングルームを設立したこと、フランス産オーク樽の導入、ロバート・モンダヴィ・ワイナリー時代には、それまでアメリカでは甘口に仕立てられることの多かったソーヴィニヨン・ブランを、フランス流の辛口に仕立て『フュメ・ブラン』と名付けて販売し(フランスのロワールではソーヴィニヨン・ブランを『ブラン・フュメ』と呼ぶことがある)、アメリカに辛口白ワインの文化を広めた。それ以外にも自然と共生するグリーンな農業を推進したり、妻マルグリットと共に芸術や音楽など他の分野とワインとのコラボレーションや支援したり、重力を利用しポンプを使用しない『グラヴィティ・フロー』など枚挙に暇がないほどである。その中でも、『すべてのアメリカの食卓にワインを』という考えのもと、グレート・シェフ・プログラムと呼ばれる料理研究家や料理人とのコラボレーションは、アメリカ人の嗜好を変え、ディナーの飲み物をウィスキーからワインに変えたことは、大きな要因であったのではないかと思う。ちなみに、このプログラムには、フランスのトップシェフであったポール・ボキューズ、ジョエル・ロブション、ミッシェル・トロワグロ、アリス・ウォータース、映画にもなった料理研究家のジュリア・チャイルドなど様々な著名人が関わっている。

こうして、高品質で世界の銘醸ワイン産地と並び称されるほどになったワインを産み出すことに成功したロバート・モンダヴィは、今度は『ウッドブリッジ』という廉価で高品質なワインブランドを考案する。これはアメリカ中で大ヒットをし、『すべてのアメリカの食卓にワインを』という彼の理想を具現化することに大いに役立つことになった。背景には、彼がイタリア系移民で、温かい家族の食卓にはいつもマンマの美味しい料理とワインがあったことが影響しているのは疑いようのがない。さらに、『ウッドブリッジ』の成功の後、モントレー湾(サンフランシスコの南方にある)から吹き込む、冷たい海流の影響を受けた風により、エレガントなブドウができる産地「モントレー」、「サンタ・ルチア・ハイランズ」の可能性を早くから見抜き、『プライベート・セレクション』というミドルレンジのブランドを考案。これもまた爆発的なヒットとなった。品質的な「高さ」と価格的な「幅」、両方を大いに広めアメリカにワイン文化を定着させたことは、正に「カリフォルニアワインの父」と呼ばれるに相応しい偉大な功績だ。

ジョイント・ベンチャーとロバート

ロバートを語るうえで欠かせないのがジョイント・ベンチャーだ。その中でも最も有名なのは「オーパス・ワン」であろう。このワインは、フランス ボルドーの格付第1級、シャトー・ムートン・ロートシルトと共に1979年に初めて仏米合作のワインとして産み出したワインである。

ムートンのオーナー、フィリップ・ド・ロスチャイルド男爵との出会いは、ロバート・モンダヴィ・ワイナリー設立直後。かつてからロバートが感銘を受けていたヨーロッパの芸術や文化、ワインへの考え方で意気投合したことから、ロバートは1978年ボルドーでのディナーに招待され、そしてその翌朝2人は協力してワインを造ることに合意。製造当初はムートンの醸造長ルシアン・シアノ―とロバートの次男ティムがロバート・モンダヴィ・ワイナリーで醸造したワインをブレンドして造っていたが、このファーストヴィンテージのブレンドにはなんと3日もかかったと言われている。現在では、カリフォルニアのグラン・クリュ「ト・カロン・ヴィンヤード」の一部の畑を「オーパス・ワン」に分け、別々に醸造・販売している。

「オーパス・ワン」を成功させた後、ロバートは自身のルーツであるイタリアでジョイントするに足る高品質なワインを造るファミリーを探すことにした。そこで出会ったのがフィレンツェの名家であるフレスコバルディ侯爵家。フィレンツェの南、モンタルチーノの地に「カルテル・ジョコンド」という城と地所を持ち、最高品質のワインを造っていた生産者で、当時の当主ヴィットリオ・フレスコバルディ侯爵とロバートが合意したことで、それぞれの息子であるランベルト(現当主)とティムが協力してカステル・ジョコンドの2か所の畑からワインを造ることになった。ファーストヴィンテージは1993年、ブドウ品種は、イタリアを代表するサンジョヴェーゼと、新世界を表現するメルローのブレンド。当時このワインを発売した輸入元は「オーパス・ツー」と謳って販売していたのを思い出す。

さらに、チリの名門エラスリスと手を組んで作りだしたのが「セーニャ」。1995年がファーストリリースで、これも世界のトップ赤ワインの一つとして評価されている。ちなみに、「オーパス・ワン」のパートナーであるバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドにもチリ最大のワイン生産者コンチャ・イ・トロと手を組んだプロジェクトとしてリリースした「アルマヴィヴァ」というワインがある。このワインの畑は元々エラスリスのチャドウィック家が所有していたマイポ・ヴァレーのグラン・クリュとも呼ばれる「プエンテ・アルト」の最良の区画、しかもファーストヴィンテージは1998年であり「セーニャ」の3年後。「オーパス・ワン」に関わる2つのワイナリーにまつわる、なんともと奇遇で皮肉な偶然が重なっている。なお、「セーニャ」も「アルマヴィヴァ」もどちらも世界有数のカベルネのワインとして現在も高く評価されている。それもまた流石と言える。

現在のロバート・モンダヴィ・ワイナリーでは、ロバート健在の頃からワイナリーで働いているベテラン、ジャンヴィエーヴ・ジャンセンズがチーフ・ワインメーカー(醸造責任者)を務め、数多くのカルトワインを醸造した経験を持ち、現在ではナパ・ヴァレー・ヴィントナーズの会長でもある、ト・カロン・ワイン・カンパニーの醸造家アンディ・エリクソン、『ナパのトップガン』と呼ばれるスター醸造家でシュレーダーの醸造家トーマス・リヴァース・ブラウンという、ナパのトップ醸造家3人が協力してワイナリーのクオリティをコントロールしている。

また、ロバートの息子のマイケルとティム、ピーターの子供や、それぞれの孫の代までが、さまざまなワインブランドを立ち上げ、素晴らしいワイン造りを行っている。
今もなお、ロバートが造り上げたカリフォルニアワインの礎が土台となり、多くの花を咲かせている。

『カリフォルニアワインの父』というと、実は何人か名前の挙がる人物がいる。カリフォルニア初の高品質ワイナリーを創設したアゴストン・ハラスティ、ヨーロッパ式の醸造技術を持ち込み広めたアンドレ・チェリチェフなど。しかし、現在のようなワイン産業をこの地に根付かせ、アメリカ中にワイン文化を広め、世界のワイン地図にカリフォルニアの名を載せたロバートの偉大な功績に異論を挟む人はまずいないであろう。
長々と綴ってきたロバート・モンダヴィの人生とカリフォルニアの歴史、彼の功績の数々だが、まだまだ書ききれないことは沢山ある。彼は2008年5 月 16 日、 94 歳でカリフォルニアの自宅で安らかに息を引き取ったが、彼の功績は世界のワイン界に永遠に記憶されるものとして、これからも長く語り継がれるだろう。


いかがでしたでしょうか。「ロバート」の功績を味わいたいという方は、是非こちらから。

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